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室内合唱団 日唱 第12回定期演奏会

伊福部昭 個展

2016年9月2日(金)19時開演、18時30分開場
室内合唱団 日唱 第12回定期 伊福部昭個展
渋谷区文化総合センター大和田6階 伝承ホール
伊福部昭 作曲
合唱頌詩「オホーツクの海」(1958・伊福部昭ピアノリダクション版)
シレトコ半島の漁夫の歌(1960・堀井友徳ピアノリダクション版)
北海道讃歌(1961・伊福部昭ピアノリダクション版)
全開発の歌
以上、ピアノ伴奏 藤井麻理
映画で使われた合唱曲セレクション
(「ゴジラ」「ひろしま」「忠臣蔵」「キングコング対ゴジラ」「わんぱく王子の大蛇退治」等から、予定)
エレクトーン、編曲 竹蓋彩花
和田薫 指揮・作曲
谷神不死(委嘱初演) 伊福部昭十年祭へ寄せる無伴奏合唱曲

和田薫指揮による「伊福部昭 合唱個展」が2016年9月2日(金)に渋谷で行われる。 室内合唱団 日唱の第12回定期演奏会をスリーシェルズの西耕一がプロデュースした企画である。 内外で高い評価を受ける師弟の作曲家 伊福部昭と和田薫のコラボレーションをもって、日唱の新たな試み「作曲家の個展」シリーズの幕開けとなる。

コンサートは二部仕立て。 第一部はピアノ伴奏による演奏会用作品。 ある種ミニマムな宇宙に磨きぬかれ、透徹した音を響かせるピアノは大地への祈りと叫びをどう彫琢するか。

第二部はエレクトーンによるアレンジも加えつつ、映画音楽から選曲してダイナミックなサウンドを味わえるよう構成している。 こちらは伊福部宇宙を思わせるド迫力の音響から、ブレずに確かなる意思をもって書いた数々の映画音楽まで鑑賞できる。

ある種、第1部と第2部をつなぐのが「全開発の歌」という団体歌。2016年に日唱メンバーの根岸一郎と伊福部研究者の河内春香によって舞台初演された同作のピアノパートは第3番が全編クラスターで伴奏される。まさに開いた口が塞がらないないほどの音響エネルギーである!

和田薫による師・伊福部昭へ捧ぐ新作も委嘱初演される。 これまで、和田はオペラやミュージカルなどの声楽作品は時折書いていたが、純粋な無伴奏合唱曲は非常に珍しく、大きな期待がかかる。(企画 西耕一)


没後10年……巨匠が「合唱」に託したものは何だったのか?

 演奏会用純音楽と映画音楽の両面から伊福部昭の合唱作品の全貌に迫る画期的コンサート!  壮大な合唱頌詩「オホーツクの海」、郷土愛迸る「北海道讃歌」、そして熱狂の「キングコング対ゴジラ」、反戦のレクイエム「ひろしま」まで、伊福部合唱音楽の計り知れない魅力を、国際的作曲家また映像音楽のカリスマとして師の衣鉢を継ぐ鬼才・和田薫の指揮が明らかにする!  十年祭を祝い、師・伊福部に捧げる和田の委嘱新作「谷神不死」初演にも熱い期待が寄せられている!(根岸一郎)


演奏会に寄せて

和田 薫

この度、室内合唱団 日唱の第12回定期演奏会に於いて、恩師・伊福部昭の個展を開催するにあたり、門弟の一人として慶賀に堪えません。しかも過分にも、当公演の指揮と委嘱作品を仰せつかり、身に余る光栄に存じる次第です。 本年は、伊福部先生がご逝去されて十年。伊福部家は神官の出自なので、神道では十年祭にあたります。生前を含め、これまでも伊福部先生の合唱作品のみの演奏会は無かったと記憶していますし、純音楽作品と映像作品を網羅するプログラムは画期的であると同時に、日唱の皆さまの伊福部音楽に対する深い愛情と理解を感じます。
 委嘱作品である「谷神不死」は、伊福部家家宗の老子の一節ですが、解説文にも記したように、作曲を通し改めて伊福部音楽の深淵に触れた思いが致しました。 今宵は、伊福部音楽の「声」の魅力を存分にお楽しみ下さい。


曲目

谷神不死 ~無伴奏混声四部合唱のための~
(作曲:和田 薫 日唱 第12回定期演奏会委嘱作品)

北海道讃歌
シレトコ半島の漁夫の歌(1960・堀井友徳ピアノリダクション版)
合唱頌詩「オホーツクの海」(1958・伊福部昭ピアノリダクション版)

全開発の歌

1.児童劇
セロ弾きのゴーシュ(1953) より
イワンと子馬(影絵劇「せむしの小馬」)(1953) より
わんぱく王子の大蛇退治(1963) より

2.時代劇
忠臣蔵(花の巻・雪の巻)(1962) メインタイトル
鯨神(1962) メインタイトル
反逆児(1961) メインタイトル

3.反戦映画
ひろしま(1953) より

4.特撮映画合唱組曲
ゴジラ(1954)
大怪獣バラン(1958)
海底軍艦(1963)
モスラ対ゴジラ(1964)
キングコング対ゴジラ(1962)


プログラム解説

根岸 一郎

 いわゆる西洋音楽の合唱を聴き慣れた耳には、 伊福部昭の合唱作品はかなり異質なものに響くに違いない。 旋法風で独特なメロディが、ドローン的低音やリズム・ オスティナートに支えられて展開する伊福部の音楽は近代の西洋音 楽がその発展の根幹としてきた機能和声や対位法に囚われることな く、全く異なる美学のもとに成立しているからだ。
 現代の似非文明に蝕まれた感性を嘲笑うかのように、 伊福部の音楽は、人類が芸術を手にした原初の姿を明らかにし、 太古の巨岩のように屹立し、原始林のように、我々を包みこむ。
 しかし、 伊福部音楽の単純性や原始性が異様な迫力と説得力を持つのは、 それがただ素朴なナイーヴな感性によって生み出されたものではなく、最高の教養人が、反骨と反俗の精神によって、 軟弱な現代芸術への警鐘として獲得したものだからである。 若き日、近代和声の禁則のみで曲を書き上げ、 十二音音楽華やかなりし頃、 基本構成音六音で大コンチェルトを発表する姿にその反骨精神がよ く表れている。
 さて、そんな伊福部が合唱を扱うとどうなるのか。 伊福部音楽では、アイヌのウポポ、 雅楽の追い吹きのような擬似カノンの例などを除き、 西洋風のポリフォニーは排除されている。さらに、 機能和声に囚われるのを嫌って、伊福部は三和音を避ける。 空虚五度、あるいは三度だけ、 または笙の響きを模して三度を四度に変換してしまう。 こうなると、合唱の場合は自然と二声的な扱いになってくる。 最も強い表現が必要となれば、ユニゾンが威力を発揮する。
 伊福部合唱音楽では多声部の華麗な絡み合いなどを期待してはなら ない。巨大な旋律を集団が声を合わせて謳いあげる、 そのエネルギーを感じるべきである。 個性的にして極めて効果的な書法であり、 16世紀以降の機能和声や、 バッハの完成した対位法のように垂直に組み立てられた音響が形造 る音楽ではなく、西洋音楽でいえば、 初期ルネッサンスの旋法的音楽か、 むしろそれ以前の中世オルガヌムの水平的拡がりをもった音響構造 を想起させる。 それは西洋音楽が西洋音楽としての発展をみせる前に遡る音楽であり、 伊福部の求めるものが狭いナショナリズムの謳歌などではなく、 己の民族性を通して音楽の本質を捉えようとするものであることの証でもあろう。
 名著「管絃楽法」(もちろん楽器としての「人声」の章がある) を著したオーケストレーションの達人、伊福部らしく、「 オホーツクの海」では合唱における声部の選択の巧みさが光る。 局面に応じての女声、男声、混声の使い分けが、 絶妙の効果を見せる。 伊福部のオーケストレーションはブロックごとの変化が常に鮮明で あるが、合唱の書法でもその個性は明らかである。

 「シレトコ半島の漁夫の歌」は、ピアノ伴奏の独唱歌曲から、 オーケストラ伴奏の合唱曲に書き直す際、 メロディの構造についてもかなりの改変がなされた。 独唱版では三連符、付点リズム、変拍子、 またはテンポの指示が細かな起伏を作っていたが、 合唱版ではより平坦なリズムに変わり、 強弱の変化も穏やかになった。これにより、 重厚な響きがより強調されるとともに、 繊細な動揺をみせる個人的な感慨を謳う独唱版とは全く異なる、 抑制した表現に民族の深い諦観を湛えた合唱版が誕生している。 中間部、アイヌの漁歌は大きく書き換えられ、 合唱の効果を十二分に発揮している。
 「全開発の歌」では、 合唱もさることながら特筆すべきはピアノ伴奏の特殊性であろう。 極めて低い音域で常に和音が連打され、 不撓不屈の行進を強調するが、 三番に至って左手はついにクラスターの轟音を叩き出す。 労働のエネルギーか、開発工事の爆音か、 とにかく驚くべき効果であり、 団体歌においてとられた書法としては空前絶後の前衛性を示す過激 作である。
 なお「北海道讃歌」 は言わずと知れた伊福部団体歌の代表作であるが、 合唱譜としては、オーケストラ伴奏の短縮版で、一番を男声、 四番を混声で合唱する版を、確認することができた。しかし、北海道の詩人・森みつの詩も郷土愛に溢れる名品である、 今回はピアノ伴奏によって四番全てを混声合唱でお送りしたい。

 映画音楽においても伊福部は人声を巧みに使ってきた。 特に歴史大作や宗教作品での合唱の効果は絶大だった。 演奏会の後半は、 オリジナルスコアから編曲したエレクトーン伴奏によって、 代表的な声楽付き映画音楽のいくつかをお聴きいただきたい。
 最初は児童向け映画、影絵劇「せむしの子馬」( これは映画ではないが…)、アニメーション「 セロ弾きのゴーシュ」、「わんぱく王子の大蛇退治」 から印象的な声楽曲を選んでみた。「大蛇退治」 以外の二作品は実際に見ることが困難なもので、 ファンにとっては幻の作品であろう。
 続いて、「忠臣蔵」「鯨神」「反逆児」 のメインタイトルで歌われた歌曲である。 重厚な時代劇に伊福部の音楽は欠くことのできぬものであった。 明治初期が舞台である「鯨神」 は厳密には時代劇とは言えないかも知れないが、日本の「白鯨」 と言うべき、実に雄渾な作品である。本来はアルトのみだが、 今回は男声も加えると共に、 本編ではカットされていた部分を含め、スコア通り演奏する。 これらのタイトル曲は全てユニゾンで歌われる、 伊福部の骨太のメロディの魅力が集約された作品群である。
 「ひろしま」はいまだ戦禍の傷跡の残る1953年、 広島市民の全面協力のもとに制作された、 原爆を題材とする映画のなかでも特筆すべき最重要作であり、 昨今各地で自主上映会が頻繁に開催され、 その反戦のメッセージはさらなる拡がりを見せている。 原爆の凄まじい惨状の場面が延々と続くシークエンスに伊福部は、 哀悼を込めた鎮魂の調べを与えた。「ゴジラ」「ビルマの竪琴」 など数多くの映画でも聴かれ、純音楽作品では「オホーツクの海」 に結実する、伊福部の最も愛した楽想のひとつであり、ここでは、 混声合唱のヴォカリーズが天からの慟哭を伝える。「 オホーツクの海」 と共通する楽想でありながら異なる処理が施されている点も味わい たい。
 演奏会の最後は、問答無用、 お馴染みの特撮怪獣映画からの合唱組曲である。 このジャンルは伊福部の独擅場だった。 着ぐるみにせよCGにせよ巨大怪獣に真の命を与える魔力を持って いるのは伊福部の音楽のみである。このことは、 先頃公開された新作「シン・ゴジラ」でも証明されたばかりだ。 特撮映画では特に怪獣を恐れ崇める謎の秘境の住民たちの熱狂的な 民俗儀式のシーンで、合唱が絶大な威力を発揮していた。 伊福部音楽の類い希なエネルギーに身を委ね、 遥かなるファロ島やインファント島、 あるいは海底に眠るムウ帝国に想いを馳せて存分にお楽しみいただ きたい。


特別寄稿「伊福部昭の“歌”を己の魂を乗せる

小林 淳

 伊福部昭(1914─2006)は作曲家、音楽家であるとともに優れた文学者の側面も持っていた。 文学といっても小説、戯曲、随筆などの執筆を指しているわけではない。 “言語表現による芸術作品”に携わる者という広義的な意味合いである。 伊福部は生涯を通して管弦楽曲、協奏曲、室内楽曲、器楽曲、声楽曲、舞踊音楽、映画音楽、あまたのジャンルにわたる音楽作品の創作に従事してきた。 作曲家・音楽家なのだから音楽そのものが文学、言語でもある。 そうした観点から伊福部の足跡を顧みてみると、声楽曲(歌曲)は彼の文学者としての一面を強く意識させる。 言語・言葉からつむがれる詩、歌詞があるからこそ声楽曲の小宇宙が築かれる。 歌詞と音楽が絡み合い、噛み合うからこそ声楽曲は生まれる。 伊福部は自身の音の意匠と言語・言葉から編まれた歌詞の結合をひとつの着地点に据え、創作にあたってきた。 楽器が導き出す響きと歌唱者の声が渾然となる境地を目指してきた。

 本演奏会「室内合唱団 日唱 第12回定期『伊福部昭個展』」(指揮:和田薫)は、まずは伊福部の直弟子であり、現在は現代音楽・映像音楽分野の第一線で幅広く活動する傍ら、師の音楽遺産の伝承に尽力し続ける和田薫作曲の『谷神不死』(委嘱初演)で幕が開く。「伊福部昭十年祭へ寄せる無伴奏合唱曲」と副題にあるように、和田が伊福部昭歿後10年、“伊福部昭十年祭”に祝意と謝意を込めて書き下ろした無伴奏声楽曲だ。本演奏会にあたっての奉納演奏の性格も持つ。伊福部が幼少の頃から父・利三に教え込まれた『老子』の「第六章 谷神不死、是謂玄牝、玄牝之門、是謂天地根、綿綿若在、用之不動、」を主題に採る。口語訳は「谷神は死せず、是れを玄牝と謂う。玄牝の門、是れを天地の根と謂う。綿綿として存する若し。之を用売れども勤きず」。意訳は「谷の神は決して死なない。それは神秘な牝(ひん)と名づけられる。神秘な牝の入り口、そこが天と地の(動きの)根源である。それはほそぼそとつづいて、いつまでも残り、そこから(好きなだけ)汲み出しても、決して尽きはてることはない」(小川環樹訳注『老子』/中公文庫より)。 老子のこの思想をなにゆえ和田は声楽曲に仕立てて伊福部に献上するのか。 そこに和田の師への尊信の念が込められているのであろうし、師弟の強靭な結びつきもまた浮き上がってこよう。

 第1部は『北海道讃歌』(1961)、合唱版『シレトコ半島の漁夫の歌』(1966)、同曲と同じくピアノリダクション版による『合唱頌詩「オホーツクの海」』(1958)が奏される。ピアノ伴奏は藤井麻理。北海道讃歌制定委員会の委嘱作『北海道讃歌』は「道民がこぞって歌う北海道の歌」歌詞募集で最優秀章に選ばれた詩人・森みつの詩、『知床半島の漁夫の歌』(伊福部の最後の愛弟子と称される堀井友徳のピアノリダクション版による)、『合唱頌詩「オホーツクの海」』は北海道の詩人でアイヌ文化研究者として著名な伊福部の盟友・更科源蔵の詩が唄われる。

 北方文化、北方の少数民族の生活様式、芸能、伝承古謡、北海道の風土、空気感、自然観といった要素も己の土壌に引き込んで創作活動を行ってきた伊福部と更科源蔵は強固な信頼関係に結ばれていた。更科が書く詩に伊福部は心を動かされ、更科も伊福部が練り上げる響き、鳴りは己の感性に合致した。どちらも伊福部と更科が真正面から組み合うことで誕生してきた声楽曲であり、両者の濃密なる世界だ。『北海道讃歌』も伊福部は渾身の力で作曲した。北海道への讃歌ゆえにこの大地で生を受け、水・空気・自然物・景観の恩恵を一身に浴びて成長してきた者だからこその郷土愛、共感が受け手に伝わってくる。伊福部の作家性はもちろん、彼が創り上げる芸術の根幹に敷かれる美学も同様に迫ってくる。  

 第2部は「全開発の歌」から始まる。耳慣れないタイトルの歌だが、全北海道開発局職員労働組合(全北海道開発局労働組合全開発本部)に依頼されて伊福部が作曲した混声合唱曲である。作詞者は沢谷純一。ピアノ伴奏の後半部がクラスターで書かれているというきわめてハードなものだが、伊福部の譜面通りに演奏される。藤井麻理のエネルギッシュな鍵盤さばきが極上のスペクタクルを呼ぶことであろう。組合から頼まれた合唱曲でもいっさい手を抜かず、つまらぬ妥協もせず、己の音楽理念に則った作風を押し進める伊福部の作家性・作家魂は、こうした忘れ去られた、埋もれた作品からも存分に滲み出てくる。  

 第2部はカラーを大きく変え、映画音楽(視覚付随音楽)からの楽曲が奏でられる。エレクトーン伴奏は竹蓋彩花。2016年5月7日に開催されたスリーシェルズ主催「伊福部昭百年紀4~十年祭に寄せて~」(渋谷区立総合センター大和田 伝承ホール)でホール初演された『セロ弾きのゴーシュ』(人形劇映画『セロ弾きのゴーシュ』より 1953/三井藝術プロダクション)と『イワンと子馬』(影絵劇『せむしの子馬』より 1953/ジュヌ・パントル[木馬座])、さらに伊福部ファンからの絶大な支持を得る『わんぱく王子の大蛇退治』(1963/東映動画)から複数の歌曲が吟唱される。宮澤賢治の原作を人形劇団プークが操り人形劇映画に仕立てた『セロ弾きのゴーシュ』、影絵作家・藤城清治による本格的影絵劇の第一作である『イワンと子馬』(『せむしの子馬』)、日本神話を題材に採って芹川有吾が演出した長編アニメーション映画『わんぱく王子の大蛇退治』、いずれも年少者を対象とした作品であることから、わかりやすく、耳に付着しやすく、観る者の感情を正攻法に刺激し、躍動感を駆り立て、楽曲の音色、響きから受け手を作品世界に入り込ませる音楽演出が基軸をなした。そのなか、伊福部はリリシズムを色濃く発して鑑賞者の情感を思いきり揺り動かす歌曲も処々に配置した。要所で現れる歌の効果でこれら3作品は伊福部の音楽映画(ひとつは影絵劇だが)の性格も併せ持った。心優しくリズミカル、日本情緒に富んで聴く者の琴線に深く入り込んでくる歌唱とエレクトーンの音色が聴衆をノスタルジックで甘美このうえなく、一方で胸を掻きむしるかのごとき心境に招き入れるにちがいない。  

 伊福部の声楽曲はときに鎮魂、憐憫、慟哭、怨念、慰藉、祈祷といった因子を人声に託して訴えてくる。巨大なものに力なき者が立ち向かい、対峙し、やがては屈していく声なき叫びも人声が表現する。「楽器で表現できないものを人声に託す」「人間の声は、画面には出ない精神的なもの、感動を呼ぶことができる」といったことを伊福部は述べていた。そうした生と死を主題に扱う歌曲が次に奏される。巨匠・稲垣浩が監督した東宝超大作時代劇映画『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』(1962)、大映京都の名匠・田中徳三監督の傑作『鯨神』(同)、伊福部が「大輔先生」とも呼んだ伊藤大輔監督が東映京都で撮った『反逆児』(1965)、いずれもメインタイトルが歌唱される。浅野内匠頭の辞世の句「風誘う 花よりもなお 我はまた 春の名残を いかにとやせん」を吟ずる『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』、海神の化身、悪魔の鯨と漁民から恐れられる鯨神を畏怖の対象として唄う『鯨神』、徳川家康の嫡子で無念の最期を迎える松平信康(三郎信康)の死の思想「死のうは一定」を重厚に、トラジカルに表す『反逆児』、以上3作品は伊福部の楽譜を忠実に再現する。『鯨神』は映画ではカットされた部分も含むフル・バージョン版となる。  

 伊福部と盟友といえる間柄だった関川秀雄の監督作『ひろしま』(1953/日教組プロダクション)は、20分強にわたる原爆惨禍の生き地獄、阿鼻叫喚シークエンスの後半、地の底から湧いてくるかのように現れた混声ヴォカリーズが唄われる。伊福部の合唱曲が人類の愚行を嘆き、破滅に追いやられた民衆の慟哭を代弁し、慰藉を捧げる。だからといって伊福部は鎮魂に終始はしない。長大なレクイエムの奥底から滲出してくる人間の息遣い、それでも生に向かって歩んでいこうとする者への賛歌にもやがては聞こえてくるのだ。  

 本演奏会はいわゆる「特撮映画組曲」で終幕を迎える。伊福部が音楽を担当した、本多猪四郎監督、円谷英二特技監督による東宝SF特撮怪獣映画から声楽を採り入れた楽曲で構成される。「伊福部昭百年紀コンサート」Vol1~Vol3で使用したスコアより編集されている。『ゴジラ』(1954)メインタイトル~『大怪獣バラン』(1958)~『海底軍艦』(1963)ムウの祈り~『モスラ対ゴジラ』(1964)メインタイトル~マハラ・モスラ~聖なる泉~『キングコング対ゴジラ』(1962)メインタイトル~眠れる魔神~メインタイトル~『ゴジラ』エンディング、という進行が採られる。  

 本組曲の編曲も担当した竹蓋彩花のエレクトーンでゴジラの足音が表現され、『ゴジラ』メインタイトルが前奏曲として演奏される。続いて東宝マークからメインタイトル、クレジットタイトルへと『大怪獣バラン』の“婆羅陀魏山神”祈祷歌が歌唱される。荒神に敬虔なる祈りを捧げる、土着風味濃厚な宗教音楽だ。曲は途切れることなく女声による母音歌唱に移り、そのまま『海底軍艦』の重要モチーフをつとめた「ムウの祈り」のアルトソロにつながっていく。ムウ帝国皇帝を崇め、ムウの栄華を謳い、守護神マンダを讃える歌曲だが、やがては滅亡を迎えるのであろう少数民族の悲哀もそこはかとなく感じさせる。次にゴジラの本来の主題であるモチーフがエレクトーンで奏でられる。『モスラ対ゴジラ』のメインタイトルが間奏曲として現れ、モスラの主題が提示されたのちに土俗的エネルギーをほとばしらせる「マハラ・モスラ」が奏される。そしてソリストが「聖なる泉」、モスラに捧げる賛美歌を静謐に、詩情豊かに唄い上げる。伊福部が映画に与えた歌曲のなかで最も人気を集めるものだ。  

 狂熱的なアジア風ダイナミズムがその空気を一転させる。『キングコング対ゴジラ』のメインタイトル、南海のファロ島の“巨大なる魔神”キングコングに囚われたヒロインを救出するために主人公たちがファロ島島民たちのコングを鎮める祈祷曲を用いるシークエンスで鳴る合唱曲、再びメインタイトルが主張を発し、壮大なキングコング賛歌を形成する。一方で神と人の狭間に位置するものの存在にも意識を向かわせる。原始的音楽様式美とも形容できる響きの粗暴なまでのうごめきとほとばしりは北方民族の伝承古謡に取材した声楽曲との絶妙な接点も覗かせる。女声が『ゴジラ』よりの「平和への祈り」を唄って本組曲が落ち着く先を示し、やがて終曲に至っていく。「平和への祈り」は現代に生きる私たちに真摯なメッセージを送り続ける。音楽の力はたかが数10年の短いスパンでは微動だにしない。それをあらためて実感させる。  

 声楽曲は詩、言葉、言語、音の鳴りが渾然一体化して迫ってくる。創り手の境地に想いをおよばせることでその真価がより明確に達してくる。作者の内から湧き出てきた言葉を受け止め、作曲者自身が具体的な形で己の美観、美学をも差し出してくるのが声楽曲と解釈できる。伊福部が言葉を操って成立させた、歌をともなう音楽作品が本演奏会で堪能できる。直弟子・和田薫のタクトさばきのもと、伊福部昭の“歌”の世界に心ゆくまで己の魂を乗せたい。


谷神不死 ~無伴奏混声四部合唱のための~

和田 薫

 題名の「谷神不死」は、中国の春秋戦国時代の思想家・老子の第六章冒頭の一節である。恩師・伊福部昭の家宗が老子であり、また作曲者も高校時代より老子を愛読していた。不思議な縁で伊福部先生との繋がりを感じ、この度の没後十年(神道では十年祭)を記念した「伊福部昭 個展」のために老子の一節を題して作曲した。

 第六章の全文は次の通りである。
 谷神不死。是謂玄牝。玄牝之門、是謂天地根。緜緜若存、用之不勤。(原文) 谷神(こくしん)は死せず。これを玄牝(げんぴん)と謂う。玄牝の門、これを天地の根(こん)と謂う。緜緜(めんめん)として存するが若く、これを用いて勤(つ)きず。

 老子に於いて生命の根源は母性であり、その例えをしばしば「玄牝」とする。ここで云う「谷神」とは創造の根であり、作曲者はここに伊福部昭を投影する。伊福部先生が創造されたものは作品だけでは無く、その根を我々に遺された。そしてそれは永々と絶えること無く、その音楽は尽きることは無い。そのような想いをこの章と共に作品に託した。
 但し、音楽は言葉を表現するのではなく、音のみによってそれを企図する。従って第六章と本楽曲とは音楽的関係には無い。

 老子は実に面白い。その第一章に「道の道とすべきは、常に道に非ず。名の名とすべきは、常に名に非ず。名無きは天地の始め、名有るは万物の母。」と著す。これは作曲家にとってとても有益な諭しである。また最終章には「信言は美ならず、美言は信ならず」と著すように、裏と表、理想と現実、陰と陽、つまり人間の業と性(さが)を掴みきれない水のように表す。
 伊福部先生の教えも、正にこのようであった。

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