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室内合唱団 日唱 第13回定期演奏会

フォーレと萩原英彦の夕べ ~清き鎮魂の夜に~

日 時:2016年10月26日(水)19:00開演(18:30開場)
場 所:伝承ホール (渋谷駅徒歩5分)

曲 目:花さまざま より  萩原英彦
    星の生まれる夜   萩原英彦
    レクイエム     フォーレ

指 揮:山﨑 滋
ピアノ:横山 歩

萩原英彦は(1933-2001)は合唱曲を中心に素晴らしい作品を残した作曲家です。
また、フランス音楽の研究科として、多くのフランスのピアノ曲、歌曲、合唱曲のわが国の出版譜における校訂にも携わりました。
今回の演奏会では、萩原が最も愛し、その音楽語法の影響を受けたフランスの大作曲家フォーレ(1845-1924)の代表作「レクイエム」を、萩原の作品とともに演奏致します。

曲目

合唱とピアノのための 花さまざま より萩原英彦 作曲
細川 宏 作詩
すずらん
はなさふらん
やぐるまそう
 
混声合唱組曲 星の生れる夜萩原英彦 作曲
橋爪 文 作詩
水辺の朝
秋のトリル
秋と冬のあいだに
冬の訪れ
愛の風景
樹氷と風と
星の生まれる夜
 
~休憩~
 
RequiemG.フォーレ 作曲
 
Inrroitus
Kyrie
Offertorium
Sanctus
Pie Jesu
Libera me
In paradisum
 
ソプラノ独唱:加藤茜
バリトン独唱:須山智文

イントロダクション

今から20~30年前、三大レクイエムのどれが良いか?ヴェルディー・モーツァルト・フォーレ?。などという会話があった様に思いう。自分の葬式にはどのレクイエムを選ぶか、などの議論にもなったものだ。しかし今、日本人が知っているレクイエムがどれ程の量であろうか。
小生が子どもの頃、イタリアの麺はスパゲッティしかあり得なかったが、今ではイタリア麺の事をパスタとして総称している。カッペリーニからスパッゲッティ、タリアッテッレ、ペンネまでパスタである。事程左様に時が経つほどガイコクの文化は正当な価値観に代わって行く様だ。

敬虔なカトリック信者であったはずのフォーレが、その聖職者への不信感から来るレジスタンスであろうか、伝統的な典礼進行から敢えて逸脱したテキストの選択等の為、今となってはでは異端的なレクイエムとして扱われるのも事実である。カンプラやジルの様に南仏出身作曲家のスタイルとしてディエス・イレが無いのは慣例としても、昇天(Libera me domine~主よ我に自由を~と唱えた)後の風景、すなわちインパラ・ディーズム(~楽園にて~)を表すのはそれまでの価値観には無いものである。
しかし、純粋に美しい音楽はそれらを超越して死者への畏敬ともいえよう。
そんな価値観の変化あるいは理解の変化の中、十数年前にN響がダッラピッコラの「囚われ人」というオペラとフォーレのレクイエムを合わせてプログラムを組んだ事があった。主人公が「死は自由?」と火刑された後、フォーレのレクイエム続いたのである。歌劇に続く劇的な展開であった。この先には、モーツァルトもヴェルディーもあり得ない話である。
フォーレのレクイエムはその構成上、拡張の可能性を試みつつあるようだ。

本公演のプロムラミング動機(拡張性)は複数に及ぶ。
萩原英彦もクリスチャンであり、その洗礼名をガブリエル・トーマスという。
本人もフォーレへの傾倒は折々に示しているが、歌い手からするとこの二人から要求されるものはかなり似ている要素がある。例えば、どちらも合唱パートにおいてテノールとアルトは常に似通った響きを求められる。
また、フォーレの時代に始まった調性の拡張、あるいは和声の拡張解釈を旋法などを踏まえ萩原英彦は新たな試みを進めていった。
さらに、日唱と萩原英彦は長年において極めて良好な関係を保っていた。日唱の稽古場で「水の音をやろうか」と言って萩原英彦がピアノで水が流れる音を再現してくれた事もあった。彼の耳はメシアンに匹敵する所もあったのかもしれない。
その様な中、委嘱初演に至る以外にも多くのプロデュースの契機を得てきた。
この様な背景を踏まえた萩原英彦の作品がプログラム前半である。

萩原英彦の合唱作品のピアノパートは伴奏と表現するには申し訳ないボリュームである。「花さまざま」も題名の前にも「合唱とピアノのためと」記してある。今回は抜粋の演奏だが、萩原英彦のピアノ表現の醍醐味を味わって頂けるだろう。
これほどのピアノパートを書く萩原英彦だが、実は無伴奏合唱曲がことのほか多い。
人の声と言葉で表現する音楽に萩原英彦は広く深い可能性を感じていたに違いない。
「星の生れる夜」も数多い無伴奏合唱曲集の一つである。
萩原英彦の譜割りは言葉のイントネーションとアクセントを損なわないために、リズム的な意味での音楽進行を言葉が規制する。この事によって言葉のディテールはむしろ表現しやすくなる。しかし音楽自体が表現しようとしているのは言葉でもなく、詩の行間でもなく、この詩が生まれた大きなイデア(理念)につながっている。「星の生れた夜」は言葉や物語のみに囚われてしまうと萩原英彦が描こうとしている世界を見失う事になる。終曲に向けての大きな流「摂理」を捉えて頂ければと思う。

この日、日唱はこれらの作品を一つのイデア(おもい)の下に演奏する。

曲解説/プログラムノート

萩原英彦 作曲 混声合唱組曲 星の生れる夜(1989)日本合唱協会委嘱初演作品

 “星の生まれる夜/La Nuit ou les etoiles naissent.”という表題をもつこのア・カペラの混声四部および六部合唱のための作品は,純正な人間の声によることば--日本語の極めて繊細な彩りのもたらす感情の起伏をとり扱った作品である。
 そのための手法として,新しい旋法性の導入およびそれに連携する好響的な群状和音の配列にいくつかの試みをなした。特に日本語の持つ独特のニュアンスが,母韻の移行に際して起こる速度の変化を包み込む時間の軸の撓(たわ)みに,注目すべき定理を見いだすことができたのは収穫であった。これは演奏法に深い関わりをもつ問題であるが……。
 この詩の硬質な結晶体の感触の奥底に秘められた哀感は,秋から冬への季節の移行の投げかける心情と同調する因子をもち,したがって〈愛の風景〉は,花開く春への希望を胚胎する耐え忍ぶ季節のなかでひときわ深い意味となる。終わりに置かれる〈星の生れる夜〉は,新しい星の誕生を促す揺りかごの歌で,象徴的な意味を与えられた“宇宙の子もりうた”である。
 日本合唱協会,そして私の作品の誕生には必ず介添え役をされている山田一雄先生が,黒々と題字が書かれた橋爪文(はしづめふみ)女史の詩集“昆虫になった少年”を或る時私に贈ってくださったのが,この作品を見透かしての遠謀であったのかもしれない。創立25周年を迎えた日唱がそして我が祖国が耐え難い荒涼とした?文化の領域で?季節から生命のみなぎる陽春の日を迎えることを望み願いつつ。
萩原英彦 「日本合唱協会第66回定期演奏会プログラムノートより」

ガブリエル・ユルバン・フォーレ 作曲 レクイエムREQUIEM op.48(1887 – 1893)

 「私の宗教的幻想は、すべて、このレクイエムにこめた。このレクイエムは徹頭徹尾、人間的な感情によって支配されている。それは、永遠的やすらぎへの信頼感である」(フォーレの言葉より)
 ガブリエル・フォーレのレクイエムは、1887年から1893年まで、約7年にわたり断続的に書き続けられた。作曲を継続させた動機に、1885年7月の父親の死、1887年12月の母親の死などがあげられよう。
 変幻自在な調性のゆらめき、旋法交換の技法、それらすべてを支える感性こそ、フォーレの音楽世界の核心を支える資質である。

萩原英彦
HAGIWARA Hidehico 1933 – 2001

東京生まれ。幼少より音楽と自然現象に興味を寄せ、若くして團伊玖磨に師事する。1956年東京芸術大学作曲科卒業。在学中、作曲を池内友次郎、ピアノを永井進に学ぶ。
フェリス女学院音楽大学、お茶ノ水大学講師、武蔵野音楽大学教授作曲科学科長歴任。1986~2001年日本合唱協会顧問。
代表作の「光る砂漠」「白い木馬」「動物たちのコラール第II集」は、日本合唱協会が初演し、文化庁芸術祭優秀賞を受賞している。

ガブリエル・ユルバン・フォーレ
Gabriel Urbain Faur 1845 – 1924

近代フランスを代表する作曲家。
ニーデルメイエール宗教音楽学校でサン=サーンスに師事、のちにパリ音楽院長の要職を務め、門下にはラヴェルらがいる。生涯にわたりピアノ、室内楽、歌曲を中心に多くの作品を遺した。「レクイエム」は中期の代表作として特に名高い。

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